はっぴぃらんど

著者の思いを素直に綴るサイトです。(※振り返ることをほぼしません。)

イチ ピアサポート専門員の前向きさを説く。

☆経験談を交えることで早期に打ち解けることができた場合、的確なニーズを引き出せる可能性が高い。☆

今、相手はどうしたいのか、をまず見守り、そして話をされるようであれば聴き、同時に客観的にも観察することが必要です。
何故、今、病にかかって苦しんでいるのか?大多数の人は一生涯にそう思うことも少なからずあるでしょう。その病から何かを学ぶために、その病は訪れたのだと解釈することは一つの見立てですが、人の生理学に適した論理を突いていると思います。同じような病に幾度もかかる人は、幾度も学ぶチャンスを頂戴しているようなものです。要は、何を理解し、自身の中に腑に落ちたものとできるかなんです。つまり、何を咀嚼したかなんです。また人から見たら、同じような熱発を繰り返し起こす人でも、違った見方で様々な角度から学んでいる人もいるのです。アプローチは人それぞれなのです。例えば熱発をよく起こす人は、もしかするとイライラしがちなのかもしれません。継続的に怒りが感情の大半を支配することが多いと、精神的にも不安定になりがちとなります。そうして怒りをぶつけることもなく自身に溜めていった場合、必ず何かしらの身体的あるいは精神的症状が現れます。その結果、その方にとっては熱発という形で現れたのだと推測します。身体的症状の8割は精神的にも不安定な状態であるという関係も研究者により言われています。そうして、解熱剤を飲み、熱を下げても、また同じようなことが起こるということは、それだけ学んでないからです。私が言いたいのは、 “何かを理解”すれば、そのような熱発は起こらなくなるということを言いたいのです。
例えば、子供が膝に傷を負わなくなるのは、転ばないことを学ぶからでしょう。
さらに、よく風邪にかかる子供が、風邪にかからないようになった理由には、体力づくりや栄養ある食事など何らかの対策を取ったからでしょう。何かしら、病は学びを得るために存在するんです。
また、難病にかかり、もし万が一回復できたとしたら、その時の喜びは風邪などとは比べものにならないものでしょう。それだけ得たものも大きいのです。学んだものが大きかったということは、魂の成長にも大きく関与しているのです。
前述した生理学に基づいた論理というのはこのあたりにあり、少しでも長く生きるために、生きのびるために、魂の成長のために学びがあると考えています。そして、その学びは病というものを通して得られるのです。そして、その先にあるのは、次の人生への成長の証を、より豊かなものとできれば他に何もいうことはありません。私が前向きに生きることができる証拠を論じたところです。