はっぴぃらんど

著者の思いを素直に綴るサイトです。(※振り返ることをほぼしません。)

私のスピリチュアルに対する考え方より

相手の心は分からない = 人類に共通すること だと思っています。

他者の心を知るために、どんなに方策を練り、試行実施を繰り返したにしてもたった一部しかわからないでしょう。何故なら、心とは、安心が保障され、変えようがない過去とともに成長してきました。

そう、誰からも時として自らも思い出せないほど、心のあり方は複雑かつシンプルです。(精妙に出来ており、大きく捉えると一つとして成る)その一面を共有することに何の意味があるのでしょう。

それよりも個別に存在する心のあり方を一人一人がそれぞれの形で構築していくことが最も望ましいのは言うまでもなく、明快な”生”の論理に基づいたことだと思います。あくまで普遍的な部分を知ることに意味はなく、その人のその時の特有の体験を知っているに過ぎないのです。他者が介入すると、どうしてもその影響で、本人の持つ光が曇ります。その代わり、安心は本人の中に生じるでしょう。しかし、それでは真の自身の成長は望めないのです。

そもそも、人の心を知ろうとするその動機が不純なのです。元来、人は他者に対し、どうこうしてやろうという操作的な思いを持つ者には、それなりの自身への”返し”(カルマと関係)がありました。それがヒト本来のあり方ではないのです。もし操作的になっている人がいたら、その人の心の状態は澱んでいますし、いずれ病みにつながります。人は本来誰しも尊重されるべき存在で、そのためにお互い助け合い協力しあっていくのが人のあり方です。人のことを知ろうとし、操作的になる自身の欲に目を向け、現実の自分を見つめてみることです。人は犯していい領域とそうではない領域があり、それは個人が決めることで他者が決めていいものではありません。もし他者が決定するのなら、それは立派な人権侵害です。肝要な点は、他者の許しを得ることなのです。その時改めて手を結ぶ価値が理解に至ることでしょう。